「これからもバングラデシュに行きますよ

ユヌス氏の手紙68歳社会起業家の挑戦


日経ビジネスオンライン2016年7月20日

ノーベル平和賞受賞者のムハマド・ユヌス氏からメールが届いた。
バングラデシュで貧困層向けに無担保で融資するグラミン銀行の設立者だ。
5年前に政府と対立し、同行総裁の座を追われたが、引き続きソーシャルビジネスの普及に尽力している。
5年前のちょうど今頃、九州大学の古い校舎で会った。部屋にエアコンがなく、窓は開けっ放し。
取材後に、ICレコーダーを確かめると、70歳過ぎの年齢を感じさせない張りのある声の
英語の後ろで大音響の蝉の鳴き声も録音されていた。

メールは私信の類ではない。取材後に同氏が局長を務める団体「ユヌスセンター」の
メールサービスに記者のアドレスが登録されていたようだ。
ユヌス氏はメールで、日本人7人を含む28人が犠牲になった今月1〜2日のテロ事件について
触れていた。
I cannot think of such attacks taking place in Bangladesh.
I always believed Bangladesh to be a tolerant liberal country.
(バングラデシュでこのような暴力が起きるとは信じられない。寛容で自由な国だとずっと信じてきた)。

事件直前に偶然、バングラデシュの本来の姿に関し、ユヌス氏と同じ見方をしている人に会った。
浄水器を手掛ける日本ベーシック(川崎市)の勝浦雄一社長だ。
「貧しい人は多く、治安が良くない地域もあるが、会ってきた人はみんな穏やかで前向き。
人や国に対して悪い印象はなかった」。当時のユヌス氏に近い68歳ながら、
過去5年程のうちに20回以上バングラデシュを訪れており、今年だけでもその数は4回に上る。

同社の主力製品は、自転車一体型浄水装置だ。ペダルを漕ぐと搭載している浄水ポンプが動き、
毎分5リットルの飲料水を作れる。電力不要という特徴を生かし、当初は災害時への備えとして
国内の自治体に売り込んでいたが、現在はJICA(国際協力機構)らと組んで発展途上国向けに
力を入れている。バングラデシュでもダッカ近郊のスラムで日本ベーシック製品が活躍してきた。


バングラデッシュのスラム街で飲料水を配る日本ベーシックの勝浦社長


自転車一体型浄水装置の価格は55万円。輸出コストまでかさむと導入が進まない。
そこで、現地生産の可能性を探ってみたり、浄水器そのものの販売ではなくリキシャ
(自転車型タクシー)の運転手に漕いでもらい、作った水を売る方式を取り入れたりと
試行錯誤を続けてきた。
いわゆる途上国の貧困層向けのBOP(ボトム・オブ・ピラミッド)ビジネスだ。
決して儲かるわけではない。

2005年の創業以来、黒字決算は2回だけ。妻に道楽じゃないかとからかわれることもある。
三菱レイヨンで役職定年の55歳まで働き、57歳で起業。
「子供たちは独立しており、身軽だったから踏み切れた」(勝浦社長)。

会社員時代は広報部門が長かった。1983年に家庭用浄水器「クリンスイ」発売時の
広告宣伝に携わった後は、同商品の事業部門に移って最終的には事業責任者まで務めた。
その頃、自転車一体型の浄水器というアイデアを検討したが、会社としては販売を見送っている。
退職後に当時の取引先から「やはり世の中に出したい」と相談を持ちかけられ、
日本ベーシックを設立した。

勝浦社長への取材中、時折ユヌス氏の言葉を思い出した。
同氏はソーシャルビジネスについて「利益の最大化ではなく、社会問題の解決こそ目的」
「環境への配慮」など7原則を定めている。
最後の「楽しみながら取り組む」が最も当てはまっているような気がした。
68歳の勝浦社長は新興国のスラム街に飛び込むことをいとわず、
75歳まではこのビジネスを続けたい」と語る。

7月下旬にJICA(国際協力機構)のプロジェクトで現地に渡る予定だったが、
テロ事件の影響で延期となった。それでも「家族には心配をかけるけど、
近いうちに必ず行きますよ」と怯む様子はない。
5年前、ユヌス氏は取材の最後に
「人生は短い。世を去る時にどんな軌跡を残せるのか。若者には『自分は誰のために
何ができたのか』を振り返れるように生きてほしい」と話していた。
この言葉を改めて自戒にしつつ、勝浦社長のさらなる挑戦を応援したい。

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